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H−TWOの歴史
1+1=2
Hitoshi+Hiroki=H−TWO
H-TOWの原点は、とある自動車修理工場にあります。
H 中学卒業して定時制(夜間)高校に通っていた頃から「地域密着の町の修理工場」経営を夢見て、塗装修行に打ち込んでいた、立花仁
H 「24時間、好きな車に関っていたいから」自動車屋に勤めることを決めた、遠藤弘樹
1996年
偶然にも、同じ工場に勤め始めた二人は、「地域で一番の塗装・板金の腕利き」と評判の職人より
立花は『塗装』を、遠藤は『板金』を。イロハのイから徹底伝授を受けます。
人の病気と同じように、自動車の故障に全く同じケースというものはありません。
どんな症状にも、どんな要望にも対応できる一人前の技術者になるべく
二人は、厳しい師匠の元、数え切れない程、たくさんの経験を重ねました。
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H−TWOの歴史はここから始まります。
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基礎工事の様子です。
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基本の形が出来上がりました。
2005年 出会ってから9年後、独立
今思えば、本当に勢いだけだったと思います。
大きな借金を抱えてのスタート。預金通帳の残高はたった36万円でのスタートでした。
工場の基礎の骨組み、コンクリート打ち以外
2ヶ月以上の期間をかけて、全て自分たちの手で行いました。
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初期の頃の塗装ブースです。
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レッカー車も導入です。
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3Dフレーム修正機の導入です。
それからの1年間は、毎日、深夜12時を過ぎても仕事仕事仕事。仕事三昧。
二人の念願が叶った嬉しさや期待感もありました。
でも、それよりも、私たちの独立を支えてくれた人。助けてくれた人。
叱咤激励してくださった全ての方たちへの感謝の気持ちは『仕事』でしか表現できない。
そう思い、無我夢中に、ただひたすら車と向き合ってきました。
もちろん、辛いこともありましたが、毎日が楽しくて仕方なかったです。
世間一般には
「友人同士二人で仕事を始めると、絶対に失敗する」などと言われることもあるようですがH-TOWに、それはあてはまらないようです。
自動車修理の基本である、塗装と板金。
きちんと二人の役割分担が出来ていることもあるのかもしれません。
ですが、僕らの工場がうまくいっている一番の理由は、二人とも「根っからの車好き」だからと思っています。
これからも、僕ら二人は
1+1=2+α
そして 1+1=∞
と胸を張って言えるように、精一杯の努力を惜しみません。
育ててくれた師匠に 支えてくれた友達に、家族にこの地域に住む『車を愛する人たち』と出会わせてくれた 車にそして僕らを信頼してくださる地域の皆様に『感謝する心』を伝えるために。
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マイナスイオン塗装ブースの導入です。
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工具もかなり揃えました。
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現在のH−TWOです。